医師のご紹介|茅ヶ崎市寒川町の内視鏡、乳腺診療、乳がん検診なら湘南みわクリニック

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院長-三輪 博久

30年の医者人生の大半を過ごしてきた湘南茅ヶ崎の地で、2012年4月「湘南みわクリニック」を開院いたしました。

救急医療と一般外科を中心とした幅広い診療経験を元に、乳腺・甲状腺や消化器科、泌尿器科などの専門診療における自分の経験を生かして、地域のかかりつけ医として、外科、内科疾患の予防・治療に取り組み、地域の皆様に頼りにしていただける、医療をご提供いたします。家族全員が相談できるホームドクター(総合医)を目指します。当地で関わりをいただいた数多くの皆様と、医療福祉を通じて、絆をさらに深めてゆく所存です。

クリニックのスタッフ一同、暖かく優しくわかりやすい医療を実現できるように、日々努力してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

略歴

学歴

1968. 3月
名古屋市立松栄小学校卒業
1971. 3月
名古屋市立桜山中学校卒業
1974. 3月
愛知県立瑞陵高等学校卒業
1982. 3月
学士(医学)、三重大学医学部卒業

卒業臨床研修及び勤務状況

2012/4月~
湘南みわクリニック開設 院長
2009/7月~2012/3月
湘南東部総合病院 病院長
2006/6月~2009/6月
東京西徳洲会病院 副院長、日帰り手術センター長
2003/4月~2006/5月
共愛会病院 副院長
2001/11月~2003/3月
白根徳洲会病院 院長
1999/4月~2001/10月
茅ヶ崎徳洲会病院 副院長
1990/7月~1997/3月
茅ヶ崎徳洲会病院 外科医師
1990/2月~1990/6月
USA, Pittuburgh 大学留学(肝移植)
1989/6月~1990/1月
USA, Good Smaritan Medical center(腎移植)
1984/6月~1989/5月
茅ヶ崎徳洲会病院 外科研修
1982/6月~1984/5月
八尾徳洲会総合病院 研修医

昭和57年(1982年)三重大学医学部卒業。
第73回医師国家試験合格(医籍番号267073号)

八尾徳洲会総合病院で初期臨床研修を開始、当時は珍しい2年間ローテート方式で内科、外科、小児科、産婦人科、救急を研修しました。

1984年から茅ヶ崎徳洲会病院に移動して、外科研修開始。
1988年茅ヶ崎徳洲会病院外科チーフレジデント終了し、約1800例の外科手術を執刀・介助し、同時に湘南地区の1次2次救急の最前線で救急診療を担当しました。

1989年から1990年にかけての1年間、アメリカ合衆国に留学し、ハワイ大学とアリゾナ州グッド・サマリタン病院で腎臓移植と透析医療、ピッツバーグ大学で肝移植と外科研修体制を研修して帰国しました。

帰国後は再度茅ヶ崎徳洲会病院で外科の担当医、救急医として診療しつつ、若い外科の担当医の教育に情熱を注ぎ、1994年から外科部長、1999年副院長を任命されました。

2001年政党自由連合から参議院選挙に立候補しましたが落選。白根徳洲会病院(山梨県)に院長として赴任、2003年函館共愛会病院副院長、2006年東京西徳洲会病院副院長と、新設病院の立ち上げと運営の為、湘南の地を離れました。

2009年にはそれまで勤めていた徳洲会を退職し、地元茅ヶ崎市の湘南東部総合病院に院長として、湘南の地に戻ってまいりました。湘南東部総合病院では、救急医療、外科医療、緩和ケアに力をそそぎ、特に緩和ケア病棟責任者として終末期医療を実践いたしました。

所属学会・資格など

  • 日本外科学会認定登録医
  • 日本消化器内視鏡学会認定消化器内視鏡専門医・指導医
  • 日本消化器外科学会認定医
  • 日本超音波医学会認定超音波専門医・指導医(消化器)
  • 日本乳癌学会乳腺認定医
  • 日本プライマリ・ケア連合学会認定プライマリ・ケア認定医
  • 日本消化器病学会認定消化器病専門医
  • 日本消化器外科学会認定消化器がん外科治療認定医
  • 日本泌尿器科学会認定泌尿器科専門医
  • 日本乳がん検診精度管理中央機構認定検診マンモグラフィ読影医師・乳がん検診超音波検査実施・判定医師

おいたち

幼少時代

昭和30年(1955年)12月27日名古屋で生まれ育ちました。
ひつじ年、山羊座、血液型A型

生後9カ月のとき小児麻痺(ポリオ)に罹患し、九死に一生を得ました。
ポリオ後遺症で左下肢が麻痺短縮、身体障害4級の身となりましたが、ポリオの原体験とその後に障害者として生きてきたことが強い引き金になって、人命を助けることができる医師を職業として目指すようになりました。
3歳頃ポリオ後遺症改善目的の手術をうけたのですが、これが怖かった…
自分は手術台上に縛り付けられて動けないのに、茶色の消毒綿球(ヨーチンかな)を大きなピンセットに掲げもった白衣の怖い人が近寄ってくるという、手術直前の恐怖イメージと、手術後の放心状態で、何をするでも無く唯じっと見つめていた病室の天井の幾何学的模様を、今でも思い出します。

小学校時代

みんなと一緒に走ったり運動したりできないことで、強い劣等感を感じたことで、負けず嫌いの性格になったんだと思います。
花や昆虫が大好きでした。

特にきっかけがあった訳ではないと思うのですが、いつからかベンケーシーのような医者になりたいと考えていて、外科以外の医者は想像したことがありませんでした。
怖い手術体験をしたのに、何故外科の担当医になろうと思ったのかは定かでありませんが、恐怖体験を克服するための無意識の選択だったのかもしれません。
小学生のころもかなり病弱だったようで、しょっちゅう熱発した様です。近所で開業している先生は、よく往診に来てくれました。

いつしか「お医者さん」とは、手術で病気を治療してもらえる外科の担当医であり、かつ往診してくれる先生だと思うようになりました。

中学・高校時代

名古屋市立桜山中学校に入学、中学時代頃の記憶があいまいで、何をしていたのが余りはっきりと思い出すことができません。
その後、愛知県立瑞陵高等学校へ進学。1年次に担任となった男性教師のご子息の初節句で武者人形を贈呈、歌唱で始まる毎朝の始業、学園祭の「お化け屋敷」、強く心の絆で結ばれた同級生や担任の先生とは、40年目の現在でも毎年クラス会で盛り上がります。
所属した生物部では蝶や蛇や金魚メダカ、マウスを飼育し、定期試験の前日でもゼフィルス採集にでかけたり、鳩や鮒を解剖したりしていて、進学校ではありましたが、あくせくしない自由の気風の高校でした。
当時はまだ学生運動の余熱がしっかり残っていましたから、文学部や新聞部など文系部室では、政治経済哲学論を交わして、早熟な論客に畏怖の念を覚えたりしました。
自分の将来の夢は、「医者になることです」と公言していましたが、受験勉強には余り熱心ではなく、現役合格はできませんでした。

浪人中

3月に瑞陵高校を卒業したあとも、4月には大半の卒業生が受験予備校「河合塾」で再開する運命でした。高校時代に遊んだつけは重く、2年間の浪人生活を要しましたが、ようやく三重大学医学部に合格しました。
浪人中、途中何度も挫けそうになる気持ちを鼓舞する為に、日記や詩を書いて心のバランスをとるようになりました。

大学時代

三重県津市で、生まれて初めて親元を離れた下宿生活を開始。自由な毎日に羽を伸ばしました。
ブルースリーに感化されて、教養の2年間は少林寺拳法の練習と医学の勉強に明け暮れる毎日でした。

教養2年の時、高校から浪人時代に書きためた日記や現代詩を集大成して詩集を自費出版したところ、三重県文学新人賞詩部門を受賞するという僥倖を得ました。
それ以降文系の仲間との交流が始まりました。
人間に向き合ってゆくには、科学理論で解決する「医学」だけでは不十分であり、社会、心理、倫理といった正解が一つではない曖昧な世界である「医療」や、心の安寧を求める「宗教」が、「医学」を補完してゆく重要な因子であることに気づきました。
高校時代の生物部仲間と松本から白馬、さらには北海道へと昆虫採集、釣りなどのフィールドワークも堪能しました。
思えば大学時代には使い切れないほどの自由な時間があって、なけなしの金をつぎ込みながら行動範囲を広げて旅行を楽しんだものでした。今は自由に使えるお金があっても、自由に使える時間を確保する方が大変です。